HONDA RC162 #100
ホンダ・RC162 #100(二輪) (1961年 西ドイツグランプリ優勝車)
本田技研工業株式会社の本田宗一郎は、第二次世界大戦前に多摩川スピードウエイでのレース参戦経験を持つ技術者であり、自動車開発におけるモータースポーツの重要性に対する知見があった。宗一郎は戦後、二輪車生産に新規参入すると「世界一のオートバイメーカー」を目指し、レースは『走る実験室である』と公言して臨んだ。技術で先行する欧州勢と競うことで、自社だけでなく日本全体の工業技術力を引き上げることが目的であった。また、レースで勝つことで自社の知名度が上がり、販売に直結することも熟知していた。
1954年3月にはオートバイの最高峰レースである「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レースへの出場を宣言したが、それは顕著な現れといえよう。1961年、ホンダは世界GPシリーズにフル参戦を開始。第2戦西ドイツGPで高橋国光選手が、日本人とHonda250cc二輪GPマシン双方に初優勝をもたらした。RC162は出場した10戦で全勝し、年間タイトルを獲得した。また、念願だったマン島TTレースでは、125ccと250ccの両クラスで1〜5位を独占して世界を驚かせた。
イギリスの有力タブロイド紙『The Daily Mirror』は、1961年6月23日付けの紙面でマン島TTレースでのホンダの快挙について、分解したマシンの内部を見たイギリスの二輪車メーカー役員の弁を引用するかたちで、下記のように記している。「分解された優勝車は驚くほど優秀で、率直に言って恐怖感を覚えるほどだった。それはどのようなヨーロッパ製マシンのコピーでもなかった。何年か後には日本製モーターサイクルが世界を席巻するかもしれない。」
※「」内は2009年、本田技研工業株式会社が同社二輪GP参戦50周年記念に刊行した『Honda Racing 50 th Anniversary World Championship Racing Since 1959』より引用車両データ |
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パートナー |
本田技研工業株式会社 https://www.honda.co.jp/ |