HONDA RA272
ホンダ・RA272
1964年、ホンダは四輪モータースポーツの最高峰であるF1への参戦を開始。RA271と命名されたマシンは、同年8月の第6戦ドイツグランプリ(以下GP)でデビューした。
ドライバーのロニー・バックナムが善戦したが、リタイアが多く不調のデビューシーズンに終わった。翌65年に投入されたRA272には前年の経験をもとに様々な改良を実施。V型12気筒エンジンは、最高出力230馬力を発揮し当時のライバルよりも20~30馬力のアドバンテージを有していた。また、エントリー台数を2台に増やして技術面での検証機会を増やすとともに短期間での対策を行うことを目指し、ドライバーは前年のロニー・バックナムに加えて、経験豊富なリッチー・ギンサーを招聘したのである。
同年の第2戦モナコGPから参戦を開始し、第6戦のオランダGPで一時的に首位を走るが、思うような結果が出ないため、シーズン途中でRA272のシャシー改良を決断。予選順位は改善するも、決勝レースの成績は好転しないまま最終戦のメキシコGPが近づいてきた。すでに翌66年にはF1グランプリ参戦車両のエンジンは排気量3,000ccになることが決まっており、65年シーズンは排気量1,500ccエンジンの最後の舞台だった。
メキシコGPが開催されるメキシコシティは、標高2,000m以上の高地のため空気が希薄(低酸素)であり、自然吸気エンジンは低地に比べて出力が低下する。パワーダウンを抑えるには、標高に適した空気と燃料の比率調整が勝敗を分けるポイントとなる。ホンダの中村監督は、第二次世界大戦中に航空機エンジンを開発していた経験に基づき、ライバルチームを凌駕する最適セッティングを導き出した。
予選3番手からスタートしたリッチー・ギンサーは決勝で好スタートを切り、1周目でトップに立つと首位を譲ることなく優勝を飾った。僚友のバックナムも5位に入賞した。歴史的なレースを、参戦2年目のホンダRA272が初優勝で締めくくったのである。タイヤパートナーである、グッドイヤータイヤにとってもF1初優勝となった。
車体色は日本のナショナル・カラーに指定された「アイボリー・ホワイトにレッド」で、日本国旗を想起させるアレンジにしている。
本田技研工業株式会社・本田宗一郎の「クルマはレースをやらなくては良くならない」との考えは、国際規格に沿った「鈴鹿サーキット」の建設に繋がっていった。本田宗一郎は、市販車の高性能化に伴う「テストコース」の役割もサーキットに期待していたのである。
車両データ |
|
---|---|
パートナー |
本田技研工業株式会社 https://www.honda.co.jp/ |